2014年6月27日星期五

ハンさんの戦争の記憶

プロジェクト「戦争の記憶」の感想文

  東南(とうなん)アジアの戦争の歴史を(くわ)しく知ることが欲しいですから、りか先生は私たちに「戦争(せんそう)記憶(きおく)」プロジェクトをさせます。先生と私たち一緒に戦争時に高齢者(こうれいしゃ)をインタビューするし、一緒にペナン戦争博物館(はくぶつかん)訪問(ほうもん)しました。その後、私たちは「戦争の記憶」のビデオを作りました。

  私は本当に過去(かこ)の知りませんの物を(まな)ぶことは、非常に多くの収穫(しゅうかく)があります。そして、日本人のりか先生は日本の戦争のプロジェクトをしたいから、私は先生を非常に賞賛(しょうさん)です。

 

プロジェクトした前、私は戦争の影響を()けた国はより少ないと思います。でも、多く国は侵略(しんりゃく)しているこど、マレヤ、タイ、フィリピン、インドネシア、ラオス、ベトナムとジャワを発見(はっけん)するまでに、私はこの戦争はアジアの大破壊(だいはかい)であると認識(にんしき)しました。

日本の最初の理由は、自身の資源(しげん)不足(ふそく)です。彼らは、資源を見つけなければならない。しかし、日本は間違(まちが)った決定(けってい)をしました:()の国に資源を取得(しゅとく)したいです。このように、アジア太平洋戦争(たいへいようせんそう)が始めました。

日本歴史の本で、他の国に行くの動作(どうさ)は「進出(しんしゅつ)」の名前を()けました。しかし、他の国の言葉は「侵略(しんりゃく)占領(せんりょう)」を使用(しよう)された。

日本は地元(じもと)を占領したくなかったの可能性(かのうせい)がありました。でも、ここでアボリジニの人々のために、日本は本当に彼らの住んでいる場所を侵入(しんにゅう)しました。そして,「進出(しんしゅつ)」のために、日本軍でその(つみ)のない人々は(やさ)しいでなければなりません。しかし、日本の歴史教科本(きょうかほん)の書きませんの事件もありました、例えば:華人(かじん)肅淸慰安婦(いあんふ)

戦争のために、(まった)勝利(しょうり)はありませんと思います。。各国(かっこく)苦痛(くつう)損失(そんしつ)があります。例えば日本は原爆事件がありました。だから、私の見解(けんかい)は:戦争は間違(まちが)い、世界は戦争を持つべきではない。

 

ビデオを作るとき、私がこの物を(かんが)えていた:歴史は客観的(きゃくかんてき)な物です、だから私たちは()こったことを説明(せつめい)しなければならない。そしてそれビデオは人々に説明したいので、私は私情(しじょう)をはさむためにしたくない。

(こと)なる(かた)りと異なる言葉は様々(さまざま)感情(かんじょう)を持っています。例えば「進出」と「侵略」。「進出」は親善(しんぜん)栄光(えいこう)代表(だいひょう)、でも「侵略」は凶悪(きょうあく)残虐(ざんぎゃく)の代表です。テキストや言葉は、筆者(ひっしゃ)感情(かんじょう)(つた)えると思いますから、私は他人(たにん)見解(けんかい)意見(いけん)変更(へんこう)したくない。私は聴衆(ちょうしゅう)にその歴史の物語(ものがたり)を伝えるがいいと思いました。

だから私たちのグループはビデオをするときに、(もっと)適切(てきせつ)な言葉を使用(しよう)したいが(もと)められて、インタビューの言葉が日本語に翻訳(ほんやく)しました。それらの私たちの戦争の歴史で最大(さいだい)尊敬(そんけい)と思いますね。

 

私は中国人です、私も中国の学校で多く戦争時の歴史を(まな)んだ。そして戦争から、たくさん過激(かげき)の中国人は日本と日本人で非常に友好(ゆうこう)じゃない。でも、日本語を勉強だ私のために、日本人に敵意(てきい)を持っていない。

太平洋(たいへいよう)戦争は半世紀(せいき)前に()こったから、現代(げんだい)の日本人と過去(かこ)の戦争は関係ないと思います。私の見解(けんかい)は:日本政府はアジア諸国(しょこく)犠牲者(ぎせいしゃ)謝罪(しゃざい)する必要(ひつよう)があります、しかし、それたけです。理由は、もし私たちはそれらの(つみ)のない現代日本人が罪悪感(ざいあくかん)を感じすれば、これは(べつ)の戦争同じ邪悪(じゃあく)を作ります。

 

戦争は(おそ)ろしいです。()っても()けても苦痛(くつう)損失(そんしつ)があります。私たちは(ゆる)すことができますが、(わす)れることはできません。それが歴史です。

一部(いちぶ)の人々は言うだろう:戦争は人間社会(にんげんしゃかい)進歩(しんぽ)をあげます、たびに歴史の中で(おお)きな改革(かいかく)は戦争を(みちび)きます。

私はこの文で「(ただ)しい」も「間違(まちが)い」があると思います。

戦争は社会(しゃかい)科学技術(かがくぎじゅつ)発展(はってん)するにあげます。しがし同時(どうじ)に、人々の心は冷血(れいけつ)になるし、人性(じんせい)退化(たいか)するになります。全ての良い物は破棄(はき)されます。

そう、「戦争(せんそう)」と「平和(へいわ)」、あなたはどちらがより重要であると思いますか?

2013年10月20日星期日

カタカナの研究と感想

  日本語初心者外国人,“カタカナは特別な言葉”と思います。

  カタカナは漢字かありません,オリジナルの日本語ではない。そしで外国語の発音を使用ですから、意味はもっとあいまいですね。

  カタカナは主に外来語を表すために使用される。例えば:国の名前、地名、人の名前。日本人は海外文化を尊敬です,変わらないの発音を使用です。これはカタカナの従来の用法。

  近年で、カタカナ語は日本の若者を歓迎されている。特殊な文言、西洋化の発音,ファッションの感じる,この現象カタカナの単語の数量付加です。でも、オリジナルの単語は慣れていないになる。例えば:バラ/薔薇。

  中国の似たような状況かあります,古代に、中国人も“七曜記日”を使用でしだ(月曜日、火曜日、水曜日、木曜日、金曜日、土曜日、日曜日)。でも、デジタルを使用して開始し(星期一、星期二、星期三、星期四、星期五、星期六、星期日),“七曜記日”は慣れていないになる,現代の中国人は“七曜記日”かぜんぜん知りません。

  本来の意図が良いときには、導入してもよいが、外国語では伝統文化キラーかもしれない。

  最後に、私は疑問を持っている:いくつかの外国語を知りませんの日本人、彼らは最初に“アイスクリーム”、“パスタ”を見たとき,意味を知っているか?

2013年10月9日星期三

感想 from 尾崎豊の卒業


 卒業していったい何

 解ると言うのか

 思い出のほかに

 何が残るというのか


   私たちの子供の時,毎日を“ときに我々は学習を終えることができますか?自由になることができますか?”と思いました。私たちの小さな心はそう大きな学校でロックされていた。

   多くのコースや多くの宿題,我々は 卒業するそれから厳格な学校の規則の中を解放したい欲しいです。お祭りと休みは私たちの大好きな。

   長年に私 はこのような時間を過ごした。

  突然に卒業,私の心の深いで何か失われたを感じる。
私たち同級生はどこですか?
私たちの教師はどこか?
私たちの笑顔はどこですか?

過去に,私たちは運動場で遊ぶ、
 
    私たちは廊に立って、クラスの中に眠るから、
    私たちは一緒に音楽室で歌う。

私の心は非常に悲しい。

   我々 は、学業の上に重いについて訴えていました,“卒業後、書籍を引き裂く"言った。でも,スクールデイズの私たちは一番気楽な、負担がありません。

   今、学校の少年を見るとき,彼らの笑い声の少し嫉妬になります。
私の自身に質問:スクールデイズの私たちも幸せですか?
        “はい、そですね。”

この支配からの 卒業 ; 闘いからの 卒業。
                  --<卒業>